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【幕末明治福井150年博 第3回リレー講演会】「若狭路からみた幕末―小浜藩、激動政治の渦中へ―」を開催しました!

平成30年10月22日  この度、幕末明治福井150年博実行委員会と気比史学会が主催となり、下記のとおり講演会を開催しました。会場には、約160人の歴史愛好家らが参加し、若狭路ゆかりの先人、梅田雲浜や酒井忠義について学びました。講演内容等は下記のとおりです。

                 記

 1 日  時  平成30年10月20日(土)13:20〜15:50

 2 場  所  ニューサンピア敦賀 「若狭の間」
         (敦賀市呉羽町2番地)
        
 3 タイトル 「若狭路からみた幕末―小浜藩、激動政治の渦中へ―」

 4 講師・講演概要

  ◆講演A
   タイトル:『「草莽」志士の先駆者・梅田雲浜―志士奔走を支えたもの―』
    講  師:中島 嘉文(なかじま よしふみ) 氏
        (酒井家文庫保存活用協議会長)
   講義内容・雲浜は、徳川斉昭の謹慎処分を巡る問題をきっかけに、非常に
        早い時期から国事に奔走していた。また、雲浜の活動が実を結
        んだ背景には、崎門学(きもんがく)のネットワークがあった。
       ・雲浜は単なる精神論の志士ではなく、物産交易の周旋など多面
        的に活動していた。
       ・志士として雲浜を活躍させた要因の一つは、小浜藩の京都屋敷
        であったのではないか。京都所司代や町奉行から情報を手に入
        れていたことがわかっている。

  ◆講演B
   タイトル:『再考 京都所司代時代の酒井忠義
                ―“薩長中心史論”からの脱却にむけて―』
    講  師:仙波 ひとみ(せんば ひとみ) 氏
        ((公財)宇和島伊達文化保存会)
   講義内容・幕末・明治維新史は、これまで、二元対立構図(勤王⇔佐幕、
        尊皇攘夷⇔公武合体)で語られてきたが、最近の研究では、構
        図理解の見直しが求められている。
       ・酒井忠義は天皇と将軍の間をうまく調整する重要な役目である
        京都所司代を2回も務めている。このことは酒井家が徳川将軍
        家からいかに信用されていたかを示している。
       ・和宮の降嫁を巡る問題でも、酒井忠義と公家との間で本音を言
        える信頼関係が築かれる中で孝明天皇も忠義を信頼するように
        なっていった。

  ◆トークセッション:中島 嘉文 氏 × 仙波 ひとみ 氏
   内  容・小浜藩も雲浜も、海防の面から敦賀を非常に大事にしていたの
        ではないか。
       ・井伊直弼の彦根藩と酒井忠義の小浜藩は共に安政の大獄に関わ
        ったが、必ずしも信頼関係を築いていたわけではなく、小浜藩
        の琵琶湖疎水計画を進めるため、両藩には対立があった。
       ・雲浜のネットワークは、宇和島まで広がっており、その共通の
        思いは「外国の脅威から日本を守ること」だった。
印刷用 印刷用ページ 添付資料 連絡先
文化振興課
担当者: 三崎、谷口
電話: 0776-20-0572
代表(内線): 4218
メール: bunshin@pref.fukui.lg.jp
紹介: http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/bunshin/
記事ID: 95O18C154003463772

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